バルファキスの『Another Now』を講談社が『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もうひとつの世界』と改題したことへの批判ツイートが思いの他広く共有されているので、補足や若干の訂正も含めて以下にメモをしておきます。
元ツイート1:「まず、原著の題は『Another Now: Dispatches from an Alternative Present』です。内容は2008年金融危機の後で然るべき改革が行われたパラレルワールド「もう一つの今」に住む人たちが、この今の人々と社会制度について議論するというものです。原著には「shit」「f**k」等の言葉は一切登場しません。つまり、原題にも原著の内容にも文体にも「クソったれ」という言葉を使う根拠も必然性も一切ないのです」
改めて確認してみたところ、正確には「shitty」という言葉が2度登場していました。1度目は「もう一つの今」からメッセージを送信してくる登場人物コスティが、もう一つの今での会社の組織形態は民主的なものに改革されたので「shitty chores」でさえもヒエラルキーを用いずに人々が率先してやるようになっている、と説明する場面。2度目はやはりもう一つの今の住人のシリスが、ベーシックインカムのおかげで「shitty, soul-destroying jobs」をただ失業率を下げるためだけに創出する必要がなくなったと説明する場面です。
以上から、禁句が「一切登場しません」は厳密には不正確でした。ただし、「shitty」という言葉が登場する文脈からも明らかなように、これは「もう一つの今」においては人々はもうひどい仕事を無理矢理行う必要はないのだという議論で用いられているので、邦題に「Shitty」あるいは「F**king」に相当する日本語の「クソったれ」を使う根拠にはならないと考えます。
元ツイート2:「バルファキスは日本語ができないため、改題は講談社へ一任するという形をとりました。信頼を示したわけです。講談社は著者へ邦題の意味を英語で説明しませんでした。「改題を一任されたのだから、わざわざ著者に英語で説明する義務などないだろう」という反論を百歩譲って認めたとしても、「クソったれ」という言葉を特に必然性もなく使うことは著者からの信頼へ敬意を表していると言えるでしょうか」
ここは講談社が著者に英語で邦題の意味を説明していないという一文の根拠を明確にしておきたいと思います。まず、『黒い匣』の訳者であり『世界牛魔人』の用語監修者である朴勝俊さんから、Twitterで『黒い匣』の改題にまつわる話を教えていただき、そこでは英語でバルファキスに他の邦題案を提案したところ「それはダメ」とバルファキスから返事があり、その後改めて邦題を練り直して「黒い匣」という改題をバルファキスに提案したところOKが出た、という経緯が語られていました。そこから、バルファキスは英語で邦題の説明をすれば判断をしてくれる著者なのだということがまずはわかります。次に、Twitterで『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』の担当編集者の方に確認してみたところ、改題は正式な承諾を得た上で行っているというお返事をいただきました。そこで「それはバルファキスへ英語で邦題の意味を説明した上でOKを得たということですか」と追加で質問をしてみたところ、数日間返信がありませんでした。よってさらに確認をするためにバルファキスに直接この件についてTwitterで質問をしてみたところ、バルファキスからは「改題の話は聞いていたが、私は日本語ができないので出版社に一任した」という回答が返ってきました。さらに「クソったれという言葉を含む改題についてどう思うか」とバルファキスに質問をしてみましたが、そこへは回答がありませんでした。あと推薦者である斎藤さんともこの件についてはやりとりをしましたが、私信であるため内容の共有は控えます。
まとめると、まず(1)バルファキスは英語で説明すればちゃんと判断をする著者だが、(2)今回の「クソったれ」については「自分では判断できなかった」と述べており、(3)本書の作り手側の人たちがバルファキスに説明をしたかどうかについて明確な回答を行っていないため、以上を総合して講談社は著者に邦題について英語で説明していない可能性がかなり高いと判断しました。ただし、もし講談社あるいは著者から「実は邦題の英語での説明はしっかりと行われており、その説明に基づいて著者と協議の上で今回の邦題を採用するに至った」という証拠が新たに出た場合は、私としても以上のツイートを訂正・撤回する準備はあります。
元ツイート3:「バルファキスは(主にジジェクの影響で)次のような批判を続けてきました。「21世紀の政治家たちは、ベルルスコーニからジョンソンやトランプまで、下品で露悪的な態度を公然ととっている。それは公衆の品位を下げ、政治の劣化につながる文化的退廃だ。この風潮に対抗するためには、左派こそ礼節と品位を保ち、文化的であり続け、公共性というものの規範を示していくべきなのだ」。こう主張してきたバルファキスが自著の表紙に「クソったれ」などという言葉を進んで使うはずがありません」
ここの括弧内の言葉は、バルファキスが一字一句このとおりのことを言ったことがあるというものではなく、彼がイベントや講演やニュース記事等々で折に触れて述べてきたこと(例:1,2,3,4,5,6,7)を私が要約したものです。
最後に、今回の私のこの批判はこの本の制作に携わってきた方々を個人的に批判するものではないという点も明確にさせてください。結論部のツイートでも述べたように、私はこれを「今の日本の商業出版文化」の問題として考えていますし、このツイートを読んでいただいた方々にもそのような意識をもっていただきたいという思いからこのツイートを書きました。資本主義の批判をする際に資本家を個人攻撃しても何も解決しないのと同じように、既存の商業出版文化の枠組みの中でやむなくこのような改題を行っている人たちを個人攻撃しても何の解決にもなりません。さらに言うと、日本の洋書改題の問題は今回のこの本に限った話ではなく、他にも多くの英語の名著がミスリーディングな改題をされてきた事例はたくさんあります。そのため、むしろ大手出版社の内部で頑張っている人たちがこの悪しき文化の改善に貢献できるような判断をしていけるように読者や私のような小規模の作り手があくまで出版界全体の構造や文化に対して批判の声を集中させつつ、同時に原著への敬意を表した邦題設定を行っている人たちを手厚く応援していくことこそ建設的な行動だと思います。